まるで「東の軍艦島」!? 東京湾に浮かぶ「第二海堡」が何だかスゴい!【前編】

東京湾に浮かぶ無人島と言えば猿島。

しかしこの自然島の他に、人工の島がいくつか存在します。

 

その一つが・・・第二海堡(かいほう)!

 

「海堡」とは、海中の人工島に造られた“砲台”のこと。

この言葉が使われるようになったのは明治時代で、それまでは陸上のものと同じく台場”と呼ばれていました。

 

現在は上陸できないどころかめったに近づけないこの場所に近づける機会が迫っていますので、ここで第二海堡の歴史をおさらいしておきましょう。

 

ペリー提督の衝撃

猿島に最初に“台場”が置かれたのは、1847(弘化4)年のこと。

ところが、このわずか6年後の1853(嘉永6)年にペリー艦隊が来航。いともカンタンに東京湾を航行してしまいます。

それに衝撃を受けた幕府は、東京湾に侵入した敵の船を砲撃するために、東京湾の各所に砲台を築くことを急ぎます。

しかし、その計画も幕末から西南戦争(1877・明治10年)のバタバタで延び延びに。

 

ようやく、1880(明治13)年5月の「観音崎第二砲台」を皮切りに、明治新政府の陸軍が砲台の整備を進めることになります。

 

こうして、「第一海堡」が1881(明治14)年8月、「猿島砲台」が同年11月、「第二海堡」が1889(明治22)年、さらに「第三海堡」が1892(明治25)年に着工するなど、江戸を守るための拠点は次々に造られていきました。

 

その一部が今、「日本遺産」になっているわけですね!

 

運命の歯車がだんだんと狂いだす

「3つの海堡を整備しました」というと、まるであっさりと人工島ができたように思ってしまいますが、当時の技術で海の中にいきなり島をつくるって超難題。

しかもその上に大砲を置くとなると、重量に耐えられるか? も慎重に検討することが必要になります。

史料によると、ああだこうだと、これだけでマニアックな大河ドラマができてしまうくらいの物語があったそうな(「潮流の複雑な海VS技術力」とか「陸軍VS海軍」とか「砲兵VS工兵」とか「テクノロジーの進歩VS官僚」とか、何だか今につながりそうなネタ満載ですが、長いので省略)。

気が付けば何と15年も経過(!)。

結局、12門の大砲が置かれることになったのです(ここでいう“大砲”とは「加農砲(かのんほう)」のこと)。

 

ようやく全体計画が出来上がったのが1907(明治40)年のこと。

そしてついに1914(大正3)年6月、第二海堡は完成したのです!

 

武器を選定している間に技術が格段に進歩したことはもちろんですが、この間に日本は日清・日露戦争の2つの戦争を経験

言ってみれば、着工した当時と比べて、技術、武器、そしてそもそも戦争の仕方に至るまで、あらゆるものが劇的に変化していたのです。まさに浦島太郎状態

 

結果的にこの15年のブランクがその後の第二海堡の運命に暗い影を落としていくことになるのです・・・(意味深)。

 

第二海堡配備略図(出典元「日本築城史」)

 

あの大事件が運命を決定づけた

さて、難産のうえ1914(大正3)年6月にようやく完成した第二海堡。

しかし完成から9年後の1923(大正12)年9月1日、大変な出来事に襲われます。

 

関東大震災───

 

当日、第二海堡には9名の作業員がいて昼食を食べていたところ、「身の丈ほどの大津波が打ち上げた」と史料には記録されています。

その後、「危険なところにいた子ども(←なぜいたのかは不明)を抱いて船で3時間待機して脱出した」とあります。

 

人的被害はなかったようですが、被害は甚大でした。

防波壁が崩れて土台の砂が流出し、建物には大きな亀裂が走り、加農砲は一部を除いて傾斜して使い物にならなくなってしまいます。

 

震災の4カ月後には応急的に加農砲4門を据え付けたのですが、気が付けば、すでに“大砲で艦隊を撃破する”というという時代ではありませんでした

 

そのため、1924(大正13)年3月、陸軍はついに第二海堡の放棄を決定するのです。

関東大震災直後の第二海堡(出典元「震災飛行偵察報告ノ件」1923.9.9日本海軍撮影、防衛研究所蔵)

 

今度は水中へ、そして空へ

その後しばらく放置されていた第二海堡ですが、昭和に入って今度は海軍が着目します。

東京湾に侵入する潜水艦の音をキャッチする「水中聴音訓練所」として、1931(昭和6)年から1940(昭和15)年までこの場所を使ったのです。

 

さらに太平洋戦争が始まると、空襲に備える「防空砲台」としても整備。

1941(昭和16)年から1944(昭和19)年にかけて、段階的に空を狙う高角砲が備えられていきました。

 

しかし、あっという間に終戦。

2週間後の1945(昭和20)年8月30日には、イギリス軍の上陸部隊が第二海堡を占領し、すべての武装を解除したのです(イギリス軍はこの直後に猿島に渡って武装解除します)。

 

自然に翻弄され、歴史に埋もれ、ほとんど役に立たずに一生を終えた「第二海堡」

この場所は戦後しばらくの間、東京湾に浮かぶ“ただの人工島”として、波と風にひたすらさらされていったのです。

 

こんな数奇な運命をたどったこの島。

今はいったいどうなっているのか!?

 

──さっそく、見に行ってみましょう!!→後編はこちら

 

※引用・参考資料:「第⼆海堡跡調査報告書」(国道交通省関東地方整備局東京湾口航路事務所・平成26年9月)