横須賀市深田台。
京急・横須賀中央駅から15分ほど歩いた丘の上にあるのが、
横須賀と三浦半島の自然や歴史がまるごと分かる〝知〟の宝庫、「横須賀市自然・人文博物館」です。
ここを訪れたことがある人は、入ってすぐ出迎えてくれるナウマンゾウの全身骨格模型を覚えているはず。
しかし!
左奥にひっそりと置かれているコレに気づく人は少ないかもしれません。
三浦枕状(まくらじょう)溶岩―――――
ほとんどの人がうっかり通り過ぎてしまうほど地味すぎる展示ですが、
よくよく見るとこんな文字が・・・。
三・浦・半・島・最・古 !?
面積206.96km2、人口735,202人
(神奈川県「三浦半島地域圏」資料より/横須賀市・三浦市・葉山町・逗子市・鎌倉市)
を誇る三浦半島、その〝大地のモト〟がここにあるの?
つまりこの岩は、三浦半島を形づくっている無くてはならない1ピースなのです。
これは気になる! いったいどんな石なのでしょうか。
さっそく、同館に行ってきました!
「三浦半島」はもともと無かった!?
「三浦枕状溶岩は、ハワイのような海底火山から出てきたものだと考えられています」
お話を伺ったのは、学芸員で理学博士の柴田健一郎さん。同館を代表する地球科学分野のエキスパートです。
・・・っていうか、えっ、ハワイですって!?
「ホットスポットと呼ばれる、同じ場所からずっとマグマが出ている場所の溶岩と化学組成が似ているのです」
ということは、三浦半島はもともとハワイだった、ってこと!?
「いやいや、それは分かりません。南の海であることは間違いないのですが、位置を特定するには南関東を含む広い範囲の地質を詳細に調べて検討しなければいけません。およそ5,000万年前に冷えて固まり、長い時間をかけて運ばれてきたと推測されます」
むむむ、これはすごい話になってきました。
地震のニュースでもよく聞く「フィリピン海プレート」は、年に平均で約2.7cm動いているといいます。1年で2.7cm、100年で2.7km、1万年で・・・なんて考えると、生まれた位置が分かるのでは?
「そう簡単な話ではないんです。大昔は別のプレートがあったかもしれないという説もあります」
なんとも謎だらけの三浦半島。
いずれにしても「5,000万年前にはるか南で流れ出た溶岩」が、三浦半島の歴史の第一歩と言えそうです。
そうか、三浦半島というのはハワイっぽい南の海で出てきた溶岩の集まりなのか・・・とぼんやり想像していたら、柴田さんからまた驚きのお話が。
「これだけではありません。枕状溶岩や海底に降り積もった土砂などがプレートに乗って少しずつ北上して、日本列島と合体してできたのが、三浦半島なのです」
〝ごちゃ混ぜ〟要素が三浦半島の特徴!?
ええっ、が、合体!?
――5,000万年の歴史は、そうカンタンなものではないようです。では他の要素はどうやってできたのでしょうか。
「フィリピン海プレートが日本列島に近づいて、そのまま日本列島の下に沈み込んでいくのですが、そこから陸上へ押し出されるものや、日本列島に付け加わるものもあるんです。これを『付加体(ふかたい)』といいます。それが次から次へとやって来て押しつけられ、三浦半島の中部エリアや南部エリアが形づくられたと考えられています。これは房総半島も同じ。時期もほぼ同じです」
沈み込めずに陸地にへばりついたようなものが重なってできた、シワシワの部分「付加体」が三浦半島中部や南部。ここには枕状溶岩だけでなく、いろいろな要素がゴチャっと混ざっている、ということなのです。しかも房総半島は兄弟みたいなものなのですね!
「南部エリアを代表する地層は、城ヶ島や剱崎(つるぎざき)、荒崎などの地層です。プレートに押されて断層ができ、かなり変形しています」
それに比べて三浦半島北部エリアは、海底でゆっくり堆積した地層で形成されているそう。南北で地層のでき方が全然違うのです。
いやいや、ほんと複雑!
いよいよ今の形に!運命を変えるほどの「地面の質」とは!?
こうしてできた三浦半島。
今まではすべて海の中での出来事でしたが、ついにその姿を海面上に現す時がやってきます。
「三浦半島では12万5,000年前、この時すでに陸にはなっていたのですが、温かい時期(間氷期)だったため、海面が高かったのです。そのため、大楠山や武山は顔を出していましたが、多くの土地は海の中にあったと考えられています。
それからしばらく経った2万年前、この時は最終氷期の中で一番寒かった時期。海面は現在より120 mも低く、今よりも広い陸地が見えていたはずです。東京湾もすべて干上がっていました。
そして縄文時代の約6,000年前になるとかなり暖かくなり、海面は上昇して今の衣笠あたりまで海が入り込んでいました。このあと、現在の海岸線がつくられました」
なるほど、三浦半島の陸地はおよそ6,000年前には今の形になっていた、というわけ。
ちなみに、三浦半島にヒトが住み始めたのがおよそ3万年前のこと。これは横須賀市長井という場所にある台地の上で発見された遺跡を発掘調査した結果、明らかになったそうです。
それにしても、当時は人口が少ないので、住む場所は選び放題! 縄文人たちの住まい選びはどういう状況だったか気になるところですね。
いずれにしても、毎日のサバイバルライフは大変だったことでしょう・・・。
すさまじい歴史を経て形づくられてきた三浦半島。特に横須賀の地層の特徴は〝崖をつくりやすい〟ことだと柴田さんは言います。
「急な坂やトンネルが多いですし、港が作りやすい。横須賀製鉄所ができて近代化が進んだのも、三浦半島の地層の特徴と無関係ではないと思います。〝削りやすい、加工が容易〟という石の質は大きな特徴ですね。私も初めて横須賀へ来た時は、急な崖がいっぱいあって驚いたのを覚えています」
この先、三浦半島はどうなる!?
そうなると気になるのが、三浦半島の今後。研究者の立場から、柴田さんはどう考えているのでしょうか。
「数百年に1回大地震があるでしょうから、その時に土地が1m単位で持ち上がります。そうなると海に隠れている部分が海面上に姿を見せるかもしれませんから、三浦半島が大きくなることもありえます。何万年後には、猿島も陸続きになるかもしれません。
ただ、土地が持ち上がるだけでなく、気候変動で海面が上下するかもしれない。これまでも暖かくなったり寒くなったりを繰り返していますが、今は人間の活動が気温を左右する可能性が加わりましたから、今後どうなるか予想が難しいですね」
本当に奥が深い地質学の世界。
三浦半島の成り立ちについては、横須賀市自然・人文博物館の展示がとっても分かりやすいので、ぜひ一度展示を見に行くのがおススメ!
もし分からないことがあったら、柴田さんに聞いてみるのもいいかもしれませんよ!
後編では、「柴田さんがおススメする三浦半島で必見の地層3選」、さらに「無人島・猿島はどうやってできた!?」と、さらに地層を深掘りしていきます!
<Special Thanks>
柴田健一郎(しばた・けんいちろう)さん
横須賀市自然・人文博物館 学芸員(地球科学) 博士(理学)
1979年、茨城県生まれ。専門は堆積地質学。少年時代に恐竜に夢中になったことがきっかけで、地質学への興味を持ったという。2006年から現職。
【地層を本格的に学ぶには?】
「高校生の時は何を勉強していても良いのですが、大学は『地球科学』を専攻するとよいでしょう。『地球科学』を学べる学科は国立大に多くあります。ここで学べば、卒業研究などを通して地層をたっぷり研究することができます。卒業後は石油会社や地質コンサルに勤めたり、教員になったりしている人が多いです。大昔の地球がわかり、未来の地球も予想できるのが何といっても面白いところです」
<図表出典>柴田健一郎・野崎 篤・高橋直樹・笠間友博・西澤文勝・田口公則 2021. 三浦半島の新第三系と第四系:付加体ー外縁隆起帯ー前弧海盆堆積物. 神奈川県立博物館調査研究報告自然科学, 第16号, 69-106.
<取材協力>横須賀市自然・人文博物館 / 理科ハウス